2013年11月8日金曜日

やきそば

 タケちゃんは生まれた時からダウン症という病気をもった18歳の男の子。平成6年の冬に熱が出て、治らないので近くの病院へ行って検査をしてもらいました。そこで、白血球という血の成分が異常に多かったので、近くの総合病院へ紹介されました。血の工場である骨髄の検査で急性リンパ性白血病と診断されて、入院して抗癌剤の点滴をして、少し良くなったので外来に通っていました。ところが、また骨髄の検査で再発していることがわかり、大学病院の小児科に紹介されて入院しました。

 タケちゃんはダウン症という病気のため知能の発達が遅れ、18歳でしたが小児科になりました。最初は僕が主治医ではなくて、M先生という女の先生が主治医になって治療が始まりました。抗癌剤はただでさえ副作用が強く、気持ち悪くなったり、髪の毛が抜けたりしますが、ダウン症という病気は副作用がもっと強く出ます。タケちゃんは治療のために熱が出たり、とても気持ち悪くなったりしましたが、治療のあい間には元気になって食欲もありました。再発をしていたので、最初の治療より強い治療をしていましたが、また2回目の再発をしました。そのころM先生は産休に入りました。そこで僕が代わりに主治医になりました。

 今度も強い治療を始めましたが抗癌剤の副作用だけが出て、白血病細胞は減少しませんでした。そんな中でも、タケちゃんはよく手紙を書いていました。手紙には食べたい物が書かれていました。「かずめ先生へ、イリタアンスパッディ、さみし、ハーンバグ、ミートポール、ラーメソ食べたい。」などいっぱい書かれていました。規則では禁止ですが、11つだけなら良いことにしました。タケちゃんの骨髄には白血病細胞が99%で良い細胞はほとんどありませんでしたが、食欲はありました。タケちゃんのお父さんは、タケちゃんが白血病になった頃に病気で亡くなられ、お母さんは働きながらほとんど毎日タケちゃんの注文した食べ物を持ってこられていました。タケちゃんの家は病院から遠く、お母さんは片道2時間もあるところを、歩いて、バスに乗って、電車に乗って毎日往復されていました。
 

 平成71111日はいつもと変わらず、検査結果からは考えられないほどタケちゃんは元気でした。僕はこの日は上司のY先生に変わって当直をしていました。21時の消灯のころタケちゃんの部屋を覗くと、明日は焼きそばを食べるんだと教えてくれました。みんなが寝静まった午前1時頃に看護婦さんからタケちゃんがお腹を痛がっているとの報告を受け、すぐに見に行きました。タケちゃんは痛くてのたうち回り、冷や汗をかいていました。診察し、血圧を測るととても低く、すぐに血圧を上げる薬を使いました。採血をすると、いつもとは色が違うサラサラの血液でした。タケちゃんは次第に呼びかけにも答えなくなり、平成71112日の朝、すべての痛みから解放されました。

 タケちゃんはダウン症という病気で知能の発達が他の人より遅れていましたが、誰よりも正直で、誰よりも人間らしさを持っていたように思います。

 その後、僕はタケちゃんのお葬式に行きました。とても遠く、この遠い距離をお母さんは毎日往復していたことを思うと、深く感動しました。僕はタケちゃんの前で手を合わせて、あの日食べることができなかった焼きそばを置いてきました。